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原点に還る

 近ごろ、日本の伝統文化が見直される傾向にあります。
 工芸部門では手作りが重んじられてきましたが、生活雑貨は大量生産品に制覇されていました。しかし、どういういたずらか原油高の中での石油の高騰で暖房費が高くついています。
 そこで「湯たんぽ」が大もてなのだそうです。これなど「ウォームビズ」の代表格ではないでしょうか。ブリキの湯たんぽを作る工場は大忙しのようです。このような話を聞くと先人の知恵が少し見直されているようでうれしくなります。
 高度成長期の日本は消費社会であり、使い捨て文化が主流を占めています。だが、環境の保護という新しい課題が出てきて、日本ばかりでなく使い捨てには反省の声が高くなっているようです。
 お金至上主義と言われたホリエモン氏が、司直の手で裁かれる段になって、お金で買えないものについての認識は高くなっていると思われます。
 働く女性が多くなって少子化には拍車がかかっていますが、経済と生活文化のバランスについてもっと考える機会が多くなると、お金という微視的なものから、人間としての生き方という巨視的な考え方がされるようになるはずだと思っています。
 お金という概念は刹那的な生き方にとっては最重要なものですが、「人の一生」がお金で縛られていることは嘆かわしいことのように思います。

 動物は人間ばかりでなく親の庇護のもとで育つことが当然になっているものが大部分です。しかし、現在でも小学校が放課になっても家に親がいないから帰宅できないでいる子どもは多いのです。そのために学童保育などの施設が作られていますが、その子どもたちは果たして幸せなのかは論じられません。それはむしろ禁句なのかも知れません。
 はっきりと言えることは保育施設に向かう子どもたちの心は決して晴れていないと言うことなのです。まっすぐ帰宅できる子を、本当にうらやましそうに見ています。このような気持ちをもって過ごしているわが子について、働いているお母さんはそれを十分に分かってあげているでしょうか?
 それはお母さんが働かなければならない環境の家庭も必ずあることは事実です。しかし、どんなに経済的に貧していようと子育てをしている間は、親の義務として子どもが健全な精神を持って持って成長するように最大の注意を払うべきだと思うのです。

 話がちぐはぐに聞こえそうですが、私が言いたいのはお金がすべてではないと言うことです。また、私たちの先人が豊かではない生活の中で残していった知恵は実に膨大にあります。それに目が注がれない時代がここのところ続いていることだけは、はっきりと認識すべきだと思うのです。
 それは前述した工芸などだけではなく、広い範囲に渡って多くの知恵の遺産があるのです。貧しくても明るく生きた先人たちの知恵は決して貧困時代のかわいそうな話だけではないと思います。
 その辺の理解に「ねじれ」があるように思えます。
 そのいい例が、今の子どもたちはだれのために勉強していると思っているでしょうか。多くの子が「先生に、親に勉強をやらされている」と思っているのです。これでは勉強に熱が入らないのは当然でしょう。
 人は自ら見つけた目標があれば努力します。しかし、人から与えられた目標に対しては消極的であり、批判も多くなります。これは個人主義がわがままになり利己主義になっているためですが、人の本性を考えると「個」として独立して生きていくことは出来ないのです。
 そうであれば、まわりの人と手をつなぐことは当然になります。と言うことは「まわりの人の言うことにも耳を傾ける」と言うことにつながります。自己主張だけでは世の中成立しないのです。この辺から、先人に学ぶという発想も当然出てきますし、それこそ「原点に還れ」と言うことだと思うのです。
 自分を大事にすることは重要ですが、同時にまわりも大事にしなければならないことをもっともっと意識しなければならない時代であると考えています。分かっているようで、それを自分の生活に生かせないのが現状ではないでしょうか。
by AQ-katsuyo | 2006-02-07 12:22 | 読み物


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